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引き続き。。。遷都祭模様

土曜日は一日中の雨だったので、朝起きて

雨が上がっていて日がさしていたのでヒトマズ安心して

現地へ向かいました。

が、突風が強く広い平城京の中のテントは、

まるで嵐の中のよう!!

とりあえず、テントが飛ばされそうで周囲に

大荷物を置き重し代わりにしてはみても

倒れてきたり、衣装がひっくり返り、ゴミが

飛んできたりともう、ドリフのような(笑)状況でした。

今までかつてこんな状況で仕事したのは最初で

最後になるでしょうと思いながら挑んだつもりです。

 

当日は、奈良の飲食店がズラリと並び、

遷都祭のスタッフの方・各店舗のスタッフの方たちの

今日こそはお祭りを盛り上げていこうという熱意が

賑わいから伝わってきます。

ミス奈良の方も、悪天候に動じることなくむしろ

『今日は楽しむぞ!!』

という雰囲気が感じられ悪条件が皆の成功させたいという

思いを一つにしたように思います。

 

さてここで、今回はメイクを中心に行っていたので

古代メイクの素朴なナゼ? ナニ?をご紹介します。

??1?? 額の赤いマークはなに?

    花でんと言われる、つけほくろです。

    古代のメイクは、ビューティーメイクではなく

    儀式や魔よけとして行っていたようです。

    体に存在する穴(目や口など)は、体の内部と

    外部の出入り口とされ色を塗ったり装飾することで

   (頭のかんざしの位置も同じ理由からだそうです)

   悪から身を守っていたそうです。ちなみに、

   額には第三の目があると考えられてきました。

??2?? どうして赤なの?

   花でんの色は、バリエーションが多いのですが

   比較的古代メイクは《赤化粧》といわれ古代の

   エジプト・インド・中国など大陸の影響を受けているようです。

   (インドのビンディーもルーツは同じようです)

   古代の人々は、赤に対して、血・火・太陽など

   生命に深い関係があると考えられてきたようです。

 

メイクと言う視点から時代背景を見るのも面白い

のですが、平安時代に入るとより日本独自の

ビューティーを意識したメイクが誕生します。

貴族社会は発展すると、お屋敷で生活する時間が

増えるとより高貴な人は肌が白くなり、白い肌を美しい

と言う美意識が誕生したようです。

より、コントラストをつけるために肌を白く塗り、眉や髪はより黒く

唇には紅をさして美しさを表現していました。当時の女性の

結婚は今で言う就職ににていると思うのですが、

現代人が疑問に感じる、マロの眉毛も心の穏やかさ・

豊かさを眉に表現していたようです。

(華やかな貴族社会の裏側では、争いも多い時代だから

なのでしょうか?)

 

メイク一つでも、意味があり理解を深めていくと

面白いものですね!!

自分が思っている以上に、古代の人は

盛んに国際交流しながら(とってもインターナショナル)

独自の文化を生み出し、豊かな自然に対する敬意は謙虚で

ありながら共に生きるたくましさは、感心させられます。

 

古きを学んで新らしきを知る!!

遷都祭はそんなイベントのように感じます。

また、ボランティアで皆さんの

ならが好き!ならの方に楽しんでもらいたい!

という琴線に触れながら昨年よりも規模を大きくして

一緒に参加できたことはまだまだ奈良は面白くなると

実感できた体験でもありました。

 

  

 

 ちゃんちゃん

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2009年05月12日 10:05に投稿されたエントリーのページです。

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